■お題
寝そべり族 に学ぶ
近年、中国では「寝そべり族」と呼ばれる人々の増加が注目されています。彼らは一体何をしているのでしょうか?
そして、なぜ彼らが台頭しているのか、その背後にはどのような問題が潜んでいるのでしょうか?
今回は、中国の寝そべり族現象について具体的に探っていきたいと思います。
そして、これによって我々は何を学ぶべきなのでしょうか。
寝そべり族とは?
寝そべり族とは、文字通り寝そべって何もしない人々のことを指します。
彼らは日常生活での休息の時間を重視し、生きることを最低限にしていくことです。
なるべく働かない
結婚しない
子供は持たない
車は買わない
家は買わない
消費しない
この6つの項目が特徴です。
ニートとは違い、働いてはいるのですが、月に10日くらい、つまり、面倒にならない程度に働き、収入が少なくても生きれる生き方をしているのです。
最近はフランスでも同じような考えが増えていますし、日本でもその流れになりつつあります。
一見すると、彼らが何もせずに成功を収めることは不思議に思えますが、その裏には複数の要素が絡んでいるのです。
なぜ、寝そべり族が誕生したのか
まず考えられるのは、現代社会におけるストレスと競争の激化です。
中国は経済成長を遂げ、生活水準が向上しましたが、同時に働く人々のストレスも増大しています。
長時間労働や厳しい競争環境により、多くの人々が疲れ果てています。
その中で、寝そべり族は逆に自分の時間を確保することで心のバランスを保とうとしているのかもしれません。
この世界は奴隷と市民で成り立っています。特に優秀な奴隷は支配層から見れば貴重な人材です。
この人たちの欲望を刺激して働かせてきた、しかし、多くの人が気づいてしまった
もう高級な奴隷になれないことを。
一生、低賃金で働かせられる奴隷として生きていかねばならいことを・・・
それは上が退かない、ということもありますし、そもそもこの構造に無理がきているのです。
寝ているだけでは成功はない、
と中国の政府高官は言いますが、そもそも土俵に乗ってこないので全く煽っても無意味です。
苦労は買ってでもしろ、と言いますが、苦労させてる側が売っている、という言葉もあります。
さらに、技術の進歩も彼らの増加に一役買っています。
スマートフォンやインターネットの普及により、情報へのアクセスが容易になりました。
ここが大きなポイントかもしれません。
情報が明るみになったことで、
頑張らせて結局最後まで、奴隷としてこき使う構図であることに皆気づいてしまったのです。
誰が奴隷を担うのか、この押し付け合いのゲームを世界中でしていることに。
私たち日本人は平穏を好みます、しかし今の生活が安定しているのは、世界のどこかで奴隷以下の生活をさせて物を作らせていることを知っておかねばなりません。
刑務所の刑務作業がありますが、アメリカではここに力を入れているという話も聞きます。
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無為自然に生きる
私個人としては、これからはもっとこういった考えが広まるのでは、と考えています。
今、人は自由を求めています。自由というのは、なんでも買ったり、旅行したり、という意味ではなく、コントロール権のことです。
自分の身の回りをできるだけ自分の意志で動かせるようにしておきたい。
お金もそれなりでいい、とにかく自由が欲しい、これが今生きる人たちの本音です。
いっぱい稼いで、いっぱい使う、そんな時代はとうに過ぎ去ったのです。
しかし、いまだに、高年収に憧れ、家庭を持ちたい、車を持ちたい、という人もいます。
そういう人たちには全く生きにくい世の中となっていくでしょう。
常にお金の心配をし、誰かに幸せだと思ってもらうために奴隷のように働く
それに比べて、寝そべり族ほどではなくても、独身で、残業なく、週休2日くらいで働けばそれなりに裕福に自由に暮らせます。
そこで、お金を使わず、老後資金にしておけばさらによしですね。
私は一人暮らしですが、
実家暮らしであればさらに強いですよね。
実家暮らしは最強
やはり実家で暮らしていることは今の時代最強です。
もちろん、家事などはできておくべきだとは思いますが、それもある程度で十分です。
お金は貯まるし、生まれてから過ごしている場所なので、ストレスもあまりない。
親との関係がよければ最高の環境です。
しかも女性からは子供部屋おじさんは忌避されるので、女性がよってくることもない
昔、年収1000万の独身男性が実家暮らしで、趣味を楽しんでいる姿を見てこれが最強の生き方か、と思いました。
きちんとお金も家に入れて、貯金、投資もしている、両親に何かあってもなんとかなります。
独身男性の平均寿命は65歳程度ですから、両親を見届ければ自分も人生を閉じる準備をすればいい。
無駄のない生き方です。
まとめ
人間社会は大きな転換点を迎えています。
今まで奴隷として扱ってきた人々が反乱を起こし始めています。
それは、何もしない。という行為です。
資本主義や消費社会は、欲を刺激させて、働かせる仕組みでした。
しかし、それは、いつまでも働かせ、誰かに貢ぐシステムだと気づいたのです。
これに対抗するには、何もしないことを頑張る、ということになります。
生活水準を極力下げて支出を極限まで減らす。こちらの方へ進んでいる、ということです。
土俵に上がらない、自然のままに、あるがまま、これは、仏教の教えに近い、老子の考えにもなりますね。
私はある程度、働いた方がいいと思ってはいますが、こうした考えになるのもよくわかります。
弱者の反乱なのでしょう。
この先この世界がどうなっていくのか、見届けていきたいと考えています。