ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)とは何か
さて来月、ドラクエ3がついにリメイクされます。
数々のリメイクが出ていますが、2dでかなり綺麗なグラフィックになって復活します。
歴史のあるソフトですから、私も今から楽しみにしているわけでございます。
ところが海外でちょっとした炎上騒ぎになっています。
今回のドラクエ3という作品は、主人公の性別を選ぶことができるのですが、男性女性という表記が問題だということで
パターン1パターン2といったような変更が加えられたということです。
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ドラクエ3リメーク版の「性別撤廃」に〝生みの親〟堀井雄二氏が苦言「誰か文句言う?」
また、女性戦士と女遊び人も衣装の変更ということで露出が減ったということです。
全く意味が分からないのですが、本当に世の中が狂ってきてるなと感じます。
弱き人を助けるというのは確かに重要なことだと思いますし、良くない表現というのは正すべきでしょう。
しかし、男性女性という表記をなくしたり、というのは無茶苦茶かなと。
露出が多いからと言って犯罪につながるわけではないでしょう。
だって日本の性犯罪は少ないですからね。ポリコレで一生懸命な海外の方がよっぽど犯罪が多いわけです。
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ビルゲイツ氏に脅迫?最悪の小児性愛者 ジェフリー・エプスタイン
単なる弱者が憂さ晴らしをしているようにしか見えないんですね。
叩けるものを叩いて快感に酔いしれる。これがポリコレの本質だと考えています。
もちろんこれは SNS などで正義のふりをして叩ける人を叩くという遊びをしている人たちにも言えることです。
「歪んだ正しさ」というのは悪よりタチが悪い。
今回はこのポリコレについて我々独身男性はどう向き合っていくのかということをお話しいたします。
まずその定義についてからです。
基本的な定義と意義
ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)とは、他者に対する差別的な表現を正し、人種や性別、国籍、宗教、年齢、障がいなどに対して中立的かつ配慮に富んだ表現を求める考え方です。
この考え方は、社会的な不平等を是正し、すべての人が平等に扱われることを目指しています。歴史的には、1917年のロシア革命からその発祥を見ることができ、1970年代から1980年代にかけてアメリカにおける公民権運動やフェミニズムの広がりとともに意識されるようになりました。
社会における重要性
ポリコレは現代社会において、特に企業や公共機関が多様性を尊重し、差別をなくすための指針として非常に重要です。国際連合の持続可能な開発目標(SDGs)でも、人や国の不平等をなくすことを掲げており、目標5「ジェンダー平等を実現しよう」や目標10「人や国の不平等をなくそう」という点で、ポリコレとの関連性が見られます。
しかし、過度なポリコレ配慮は時に行き過ぎたものとなり、表現の自由を損なう可能性があるためバランスを保つことも求められています。
このように根っこには共産主義の考え方があるのではないかと考えています。
もうソ連は滅びましたがその考え方というのは非常に根っこに根ざしていて、
現在問題になっていることのほとんどがここに起因していると思います。
過剰なポリコレ配慮の問題点
言葉狩りの実態と影響
近く過度な言葉狩りが行き過ぎると、表現の自由が制限される問題が発生します。例えば、「看護婦」や「保母」という職業名が「看護師」や「保育士」に変更されたように、それまで日常的に使われていた言葉が突然使用禁止とされることで、社会全体に文化的な混乱を生じさせることもあります。
結局、保育士なども、女性の方が向いているわけです。建築は男性の方が向いているわけです。
これは体の構造上仕方のないことだと思うのです。
また子供を預けるにあたって男性よりも女性の方が良いというのが世間一般の認識です。
もちろん、志があってその職業につく分には誰も否定できるものではありません。ただ無理やり男性女性の体の作りは無視して平等にするというのはいかがなものかと思うわけです。
このように、過度なポリコレ配慮による言葉狩りは、本来の意図を超えて社会に不和を招くことが懸念されます。
企業やメディアの過剰対応のリスク
企業やメディアは、多様性を尊重し、社会的責任を果たすためにポリコレに配慮した行動をとることが求められています。しかし、過度にポリコレに偏った対応をとることで、企業自身がリスクを負う場合もあります。
例えば、広告や製品における表現を変更した結果、従来の顧客層との乖離が生じたり、過剰な配慮が「意識しすぎ」として消費者からの反発を招いたりすることがあります。
実際に、今回のドラクエ3はまさにそのポリコレにうんざりした人たちが炎上騒ぎになったのです。
イーロンマスク氏もこのことに言及しております。
反対に今月出るロマサガ2のリメイクは、全くポリコレ無視の作品となっていますが非常に期待が高まっています。
というかロマサガ2めちゃくちゃ楽しみです
娯楽や創作における影響
娯楽や創作活動においても、過剰なポリコレ配慮が影響を及ぼすケースが増えています。多様な視点を取り入れた作品は歓迎されますが、過度に規制を受けることで、創作の自由が制約され、作品の魅力が損なわれる懸念があります。
映画やゲームにおいて人種や性別に関する表現が見直されるため、もともと意図されていたストーリーやキャラクターの個性が削られることがあるのです。
このような状況は、クリエイター自身の表現意欲を減退させる要因となり、豊かな文化を育む妨げとなりかねません。ポリコレは重要な理念ですが、その配慮が過度に働かないよう、創作の自由とバランスを持った取り組みが求められています。
ディズニーなどは、最近ポリコレを意識しすぎて非常に商売が難しくなっているという声も聞きます。
今後の展望と対策
利用されるビジネス弱者
適切なポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)のあり方を模索することは、現代社会において非常に重要です。他者に配慮し、中立的な表現を使用することは、多様性を尊重する姿勢といえます。
しかし、過度なポリコレの追求が、表現の自由を制限し、創作活動や娯楽の自由度を損なう可能性があることも事実です。
少数の方々の権利を認めるのは非常に重要なのですが、それを盾として多数を叩きのめすというのは違います。
アイヌ民族や、沖縄など少数民族を利用して利権を貪る人たちがいます。
まさに今のポリコレというのはこの流れの一環です。
私たちは非常にこの距離感というものを大事にしなければいけない。
もちろん配慮というのは大事ですが、何もかも傷つかない世界というのはありません。
大きな流れは自由に、個別としてその配慮を求めるという流れが重要ではないかと思うのです。
そして、この世界で最も今差別をされているのは弱者男性です。
本当に差別されているのは弱者男性である
このブログでもなんとも取り上げていますが本当に差別をされているのは中高年の男性です。
みんなで叩いていい対象、これは差別に他なりません。
いただきリリちゃんの話にもありましたが、奴隷として搾取対象にされている。叩いてもみんなから責められない
まさに今白人を迫害しているアメリカのホワイトギルトと同じですね。
このような、本当の弱者には目を向けず、弱者を作り出してそれに利権が群がる
この構図に人々が利用されているということです。
まとめ
とにかく近づかないこと
炎上に加担しないこと
穏やかな心を保つこと
これらが重要です。最近ゲームが非常に心のストレスを和らげるということで注目されています。
昔はゲームばっかりやってるとダメだと言われていたのですが、
今はゲームをしていないと余計な SNS やニュースを見て余計にストレスを溜めてしまう。
だから逆に意識を専念できるゲームの方が良いのではないかということです。
我々独身男性は、今後のこの社会を生き抜いていかねばなりません。
本当に差別されている我々、弱い男たちは、女性や、社会から逃げましょう。
関わらないこと
これが最大の生き抜く方法です。
それにしてもドラクエ3やロマサガが非常に楽しみでございます。
皆さんも楽しみを見つけて日々を穏やかにお過ごしください。
是非ドールを趣味としていただけると私も非常に嬉しく思います。