■お題
今日は 一生 非正規 の不安に耐えるか 奴隷地獄の正社員 どちらが幸せかについて、書いていきます。
これを読むことで、一生 非正規で暮らさなければいけないのか、と不安に思う貴方に、正社員も地獄である ということを知っていただきたいです。
また正社員も非正規の不安定さというものを理解していただきたいです。
今の日本では逆に非正規でも正社員でも悲劇しかないのです。
それによって所詮人生なんてこんなもの と無常の理を知り、お金がなくても生きていけるような人生を考えていきましょう。
■ 非正規 は 将来の不安を永遠に抱える
非正規社員というのはありていにいえばバイトの延長です。
雇用しやすいですが辞めさせるのも楽。
雇用者にとっては切りやすいため、こちらを雇いたい思うのは当然でしょう。
なぜなら、正社員は辞めさせにくいという現状があります。
なので、彼らを優先させるため非正規というのは、常にいつクビになるかわからない恐怖の中生きていかねばなりません。
海外では欲しい能力を持っている人をその都度雇うという感覚なのです。しかし、日本では単純に奴隷が欲しい、やめさせやすいから雇うという感じです。
鰻登りの非正規
特にこの非正規の増え方は尋常ではなく、すでに40%に達しています、
平成の約30年の間に、雇用者に占める非正規雇用者の割合は約2倍へ大きく増加していることが分かります。
平成元年の非正規割合は約20%でしたが、平成31年には約40%と、雇用者の5人に2人が非正規雇用者となっています
私は、この先、非正規しか存在しなくなるのではと考えています。
なぜなら、正社員はある程度保護されているのですが、それゆえに雇用者は正社員を嫌がります。
と言うか雇用者が人の流動性などのマネジメントを怠っているのが私は大きな原因な気がします。
きちんと適材適所ここは正社員ここは非正規そして正社員を休ませるためにも使う、などと頭が働く経営者であれば問題ないと思うのですが、そんな人はほとんどいません。
正社員を使いつぶし、それで足りない所を非正規で補うというやり方です。
何も考えない経営をしていれば日本に未来はありません。
しかし、正直もう手遅れな気がします。
逆に言うと正社員より責任の重さは少ないため、繊細な人は非正規の方が合ってるかもしれません。
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もちろん職場によって違うと思いますがすぐ辞めれるというのは裏を返せば大きなメリットだと思います。
先行きが不安ということですが、それは正社員も正直変わりません。
むしろ、そんなこと考える暇もないくらい忙しい正社員よりある程度不安に思っているぶん 生き残れる確率は高いと言えます。
この先、幾つかの仕事を掛け持ちしながら細々と生きていくのが心が弱い人は向いているかもしれません。
■ 正社員 も 地獄
今の世の中では正社員は優遇された貴族です。
ただしお金のない貴族です。
社会保障などが優遇されているため、会社を簡単に辞めることができません。
昔は良かったのでしょうが、今やただの奴隷の鎖です。
また、結婚して家族を守っていればなおさらです。
一生奴隷のように働かされて生きていかねばなりません。
一生働けるのであればまだマシなくらいです。
途中でほっぽり出される可能性も大きいですよね。
正社員の何が地獄かと言うと、マネジメントなどカケラもわからない経営者ばかりなので、いつもギリギリの人数です。
ギリギリプラス足りない時に非正規を呼ぶので、一向に楽にはなりません。
もちろん、楽することがいいこととは限りません。しかし、ある程度余裕がなければ新しいことを生み出すないことも事実。
正社員は責任と多忙で沈む
景気が悪くなるとその非正規すら呼ばなくなるため、作業量と責任の重さに体は壊れていきます。
そんなことを20年もやっていた日本では、もはや足りないのが当たり前になってしまいます。
そして、それが日常になってしまいます。
こんなことを毎日やっていれば空は身体壊しますし、精神を病むことになります。
だからといって一度正規社員を辞めると次就職するのは本当に難しいです。
だから文句と愚痴を言いながらも止めることができません。
これは果たして生きていると言えるのでしょうか。
本当に外に出された時、生きていけるスキルが身についているでしょうか。
■ お金が欲しい という思いがあるかぎり地獄
結局、この世界というのは何をしても虚しいだけです。
お金が欲しいという思いを抱いている限りは常に不安です。
また、常に仕事をせねばなりません。
もちろんそれが当たり前だと言う方もいるでしょう。
しかし、そろそろ30年のツケが回ってきていることに我々は気づかなければいけません。
もう社会は限界に来ています。
なので、自分の生活というものを今一度見直してみる。
それだけではなく、自分が本当にやりたいことに対してもしっかりと向き合ってみる必要があるでしょう。
ゆっくりスローペースで生きていきたいのであれば、
ある程度お金を必要としない生活を考えてみる必要があります。
それは単に節約するという意味ではありません。
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人生のイベントを減らして支出を減らす
いつも言っていますが、これまで当たり前に支出するべきイベント。
これを丸ごと、無しにすれば、相当なアドバンテージになります。
家を買わず
家族を持たず
結婚もせず
車も最小限
これをしないだけで、お金はかなり節約できます。
作られた欲、消費社会の欲。これらを捨てることが鍵でしょう。
この世界、何をしても無意味なのです。
所詮は一瞬で過ぎ去るのです。
また、一生かけて人から奪い貶し、騙して得た地位や名誉を得てもあの世へは持っていけません。
であれば最低限生きていける生活を確保し、
ゆっくりスローペースで生きていくのがいいのではないでしょうか。
■ 仏教を学び 所詮この世界は無常 であることを知る
私は、今こそ仏教の無の教えが役に立つのではないかと考えます。
最後にお送りするは、浄土真宗で読まれるお手紙
白骨の章です。
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終。
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず。
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
白骨の章
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■ まとめ 消費社会 から逃げる
戦後、わたしたちは豊かになれば幸せになれる、と思っていました。
しかし、世界は情報革命という農業革命以来の大変革を迎え、幸せとは程遠い世の中を作ってしまいました。
他人とく比べすぎてしまい、他人がよく見えすぎてしまい、情報の海に飲まれ、何が正しいのか自分で考えられなくなりました。
だから他人の意見を借りて他人を攻撃し、自分を保つ日々。
まさに情報世界は北斗の拳の世界さながら、無法地帯。
そして情報革命は、消費社会が虚構であったことも知らしめました。
全てシェアリングし、情報を遮断し、ミニマリストになり仏教的な無常感を欲する。
足す生活はもはや崩壊しました。
これからは引く生活です。
引いた先に見える貴方にとって大事なものを探す作業、これがこの先の時代の人類の探し物になるのではないでしょうか。